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2006年07月16日

ハワイアンミュージックをチョイスするなら〜2 フイ・オハナ

1979年の初ハワイはJTBのLOOKツアーで、1980年の2度目のハワイはこのブログの前半でご紹介したアメリカ本土横断の最後のツアーで行ったもので、まだまだハワイに対してこなれていないままの体験でした。
その次、1983年の3度目のハワイは、日本旅行の懸賞で当たった優待ツアーで、正月にもかかわらずリーズナブルな料金で行け、お土産も色々付いていたツアーでした。

ハワイに関する知識も徐々に増え、自分なりのハワイ趣味を深めていこうとしていましたが、音楽に関してこのときに発見したのが、フイ・オハナというバンドでした。

昔ながらのハワイアンに近いようで、何かが違う、という第一印象で買ったのですが、今でも夏になると必ず聞く、定番のオススメです。
曲調はフラ・ソングなのですが、まずギター演奏が素晴らしいです。後でわかったのですが、メンバーの一人レッドワード・カアパナはスラックキーギターの名手で、DVD「Song of Aloha」の中でも素敵な演奏を披露しています。

そしてオハナ(家族という意味のハワイ語)らしい息のあったハーモニーが美しく、透明感と躍動感に満ちて、聞き始めた瞬間に、ハワイの朝の海の爽快感が漂ってくる感じがします。

最近はタワーレコードやHMVのような輸入盤店のハワイコーナーでよくみかけますし、アマゾン・コムでもごらんのようにすぐ購入できます。
ドライブにも心地よいですよ〜♪



【ここまでおつきあいくださいましてありがとうございます。次回の続きをお楽しみに!】







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2006年07月14日

ハワイアンミュージックをチョイスするなら〜1 ブラザーズ・カジメロ

2006年の夏は意外に暑いですね!
しばらくお休みしていたこのブログを再開します。テーマは1980年代のハワイ旅行時の写真や資料から、とっておきの、そして懐かしいハワイ情報をお伝えすることです。

いまや日本人にとっておなじみの観光地ハワイですが、結構長くて奥深いカルチャーを持っていることを知るには、数回訪れてみる必要がありますね。
私も1979年に初めて訪れて以来、ウェディングも含めて17回ほどになりますが、行く度に発見があります。

最近のようにインターネットやBS、CS放送の情報番組などで実にたくさんの情報が得られるようになってもまだ新たな発見があります。
このブログでは、1980年代から好きだったハワイのいろいろな魅力を私なりの視点で皆さんにご紹介したいと思っています。中には、今はもうハワイで見られない貴重な資料もありますよ。

ということで、今日まずご案内するのは、ハワイアンミュージックです。暑い昼下がりや夕涼みの時間帯にハワイアンのメロディは心を癒してくれますね。
私の両親は戦後の(1950年代)ハワイアン・ブームを体験していたので、子供時代から家にバッキー白片とか大橋節夫とかエセル中田などのレコードがあって、よく聞いていました。曲は「カイマナヒラ」「アロハオエ」「小さな竹の橋の下」「ブルーハワイ」…というあまりにも定番の曲ばかりでした。スティールギターとウクレレとウラ声のボーカルという(悪く言えば)ワンパターンなものばかりでした。

このイメージをガラッと変えてくれたのが、1979年に初めてハワイに行ったときにレコード屋で買った、ブラザーズ・カジメロでした。以来30年近く今でもよく聞くのですが、これこそハワイアン!と言い切りたいほどの素晴らしさを持っています。

ハワイの豊かで神秘的な自然、空と海と島の美しさを謳い、平和に暮らす優しさにあふれた人々の心と愛を謳い、生きることの素晴らしさを高らかに歌い上げる、稀に純なアーティストです。
どの曲からも、彼らの魅力を感じることができますが、特にお勧めしたいのが初期のベスト盤です。(下左の2枚です)
おすすめの曲は「Home In The Islands」「Sound Of Sea Surrounds Me」です。



下の写真は、1991年、ワイキキのロイヤルハワイアンホテルのモナークルームでのディナーショーのときのものです。最前列のテーブルで聞いた2人の素晴らしいハーモニーとダンサーたちとの心温まるパフォーマンスは今でも忘れられません。
ブラザーズ・カジメロ

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2006年06月24日

アメリカという強力な磁石がこの旅を創った・・・エピローグ

1980年3月29日

いよいよ明日帰国する日を迎え、1ヶ月ぶりの我が家に帰る支度をします。改めてアメリカ各地で入手したグッズやパンフレットなどに想い出をだぶらせます。

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↑↑↑ルートマップです。

サンフランシスコのポストカード、カリフォルニア大学バークレー校のロゴ入りヨーヨー、ニューヨークの「I LOVE NY」のバッジ、ブロードウエイミュージカル「Dancin’」のロゴ入りキーホルダーとバッジとパンフ、ナッシュヴィルで買った黒のフェルトのテンガロンハット、ビル・モンローのサイン、ニックネームを彫ってもらったウエスタン調の革ベルト、ニューオーリンズのバーボンストリートで買ったセクシーなガーターベルト(!!)、ジャズをイラストにしたポスター、サンアントニオのアラモ砦の売店で買ったテキサス男用の重量感のあるベルトバックル、エルパソのトニーラマで買ったウエスタンのロングブーツ、国境の町ファレスで買った銀細工のキーホルダー、オールドツーソンで買った赤いバンダナ、グランドキャニオンで買ったインディアンの守り神を模った銀細工のループタイ、ラスヴェガスでショー見物用に買ったボウタイ、スロットマシン用の銀貨、LAディズニーランドのネーム刺繍入りミッキーの耳付きキャップ、ハリウッドの古物店で買った映画の宣伝用スチール写真、チャイニーズシアターで観た映画「歌えロレッタ、愛のために」のパンフ、映画「カサブランカ」とチャップリンのポスター・・・などなどなるべくお金をかけず、なるべく荷物がかさばらないようにと心がけていても1ヶ月旅したらこうなります。

この他、タダで手に入るパンフレットやチケット、そして膨大な量のフィルム。帰国してからすべて整理するのに2ヶ月かかりました。でもこれも旅の一部だと思います。前記した各グッズのほとんどは情けない事にほとんど残っていません。でもこうしてブログに再現したときに、20年以上経った今でもひとつひとつのグッズにまつわる状況が鮮やかに思い出せるのに我ながら驚きました。

ホノルル国際空港からノースウエスト航空で東京に向かう機中で、日記の最後の部分を書きながら旅の成功に、そして運が良かったことに感謝しました。
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1980年というのは日本もアメリカも世界も微妙に揺れ動いていた時期だったと思います。
高度経済成長が一服の状態の日本は大平正芳首相が6月の選挙中に急死し 鈴木善幸氏が急きょ後継になりました。一方、ベトナム戦争終結からまだ10年経たないアメリカは民主党のカーター大統領イランのアメリカ大使館人質事件が長引いて人気が低迷していた頃でありました。日米両国とも景気はあまり良くなかったですね。

山口百恵(私と同年生まれです)が引退発表したり、ポール・マッカートニーが成田空港で大麻所持で逮捕されたという話もありました。F.フォード・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」が公開され、離婚と子育てをテーマにした映画「クレイマー、クレイマー」がアカデミー賞作品賞を獲得したりと、アメリカ映画にも難しい時代だったですね。それまでのスタジオ製作による娯楽大作が影を潜め、ロケ主体のリアリズム志向、人間の内面にスポットを当てたストーリーが増えてきました。
クレイマー、クレイマー

そうしたアナログ的製作手法の限界を超えるようにして現れたのがコンピュータ・グラフィックスだったと思います。1978年の映画「スターウォーズ」の成功はやがてルーカス、スピルバーグらの新世代の巨匠たちによる新しいハリウッド映画を生み出しましたね。

また、コンピュータのパーソナル化(小型化)の動きも胎動し始め、ちょうどこの頃、ビル・ゲイツがマイクロソフト社を、スティーブ・ジョブスがアップル社を伸ばしつつありました。やがてマッキントッシュ、ウィンドウズというビッグなプロジェクトが世界を変え、私たちの生活を変えてきたのですね。
初期のアップル社のロゴ

コンピュータは計算するもの、というイメージから、コンピュータは人間の想像力を具体化するもの、という風に進化し、そして今では具体化された想像(イメージ)を世界中に発信できる、という時代になってしまいました。こうやって気楽にブログを作成し、自己の想い出にひたりながらも世界中の人に見てもらえるテクノロジーの進歩に目を丸くしますが、すばらしいことだと思わずにいられません。

でも、どんなにテクノロジーが進歩しようと、ここが地球である限り人間が主役ですから、そうした機械的なものに振り回されず、自分の目、耳、心で感じ、伝え、共感しあうことが大切なんだな、と思わずにいられません。

1980年2〜3月のアメリカ本土横断の旅日記はこれで終わります。ここまでおつきあいくださり、ありがとうございました。この後は1980年代のハワイ、90年代以降のニューヨーク、パリ、、ロサンゼルス、ハワイ、香港、ソウルの旅ブログを創っていくつもりです。よろしかったらまたお越し下さい。よろしくお願いいたします。 ・・・2006年6月 Y.S



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2006年06月23日

ワイキキの青い空の下で・・・ハワイアン・フラ・ノスタルジア

1980年3月27日

ハワイへ観光に来て格安に過ごす・・・これが今回のテーマでもありました。まず、朝起きたら軽く、カピオラニパークでジョギング。ワイキキの東側、ダイヤモンドヘッドのふもとの大きな公園にはジョギングにうってつけのサイクリングロードがあり、また大きな葉っぱを茂らせた木々が陽射しよけになります。走り終わったら、芝生の上でクールダウン。これが実に気持ちいいのです。そして朝のワイキキビーチを軽くお散歩します。まったく人が少なくて開放感たっぷりです。
ワイキキビーチ

おなかもすいたところで、カラカウア通りに面したファーストフード店「Jack In The Box ジャックインザボックス」でモーニングです。ハイアットリージェンシーホテルの近くにあるこの店はガラス張りのおしゃれな店構えで、店内から窓越しにワイキキビーチが望めます。しかも「This Week」という地元ガイド誌(無料)に付いているクーポンを出せば、ドリンク、ポテトつきのモーニングバーガーやサンドイッチが1ドルです!
ジャックインザボックス

ホテルの部屋で一息ついたら、再びカピオラニパークへ向かいます。週3回開催される無料のイベント「コダック・フラ・ショー」を見るためです。50年近い歴史を誇るフラとハワイアンミュージックのショーで、ワイキキ観光の代表でもあります。公園内の芝生の特設スタンドは大勢の観光客、それもほとんど白人の観光客でごった返していました。アメリカ人観光客は滞在日数が平均して長いから、こうした無料のイベントには敏感ですよね。滞在日数の短い日本人観光客は高いツアー代金払ってポリネシア文化センターへ行く人のほうが多いらしいです。

コダック・フラ・ショー

入口で順番待ちしながら場内をのぞいたら、スタンドは超満員!これは立ち見かなと思っていたら、アロハシャツ着た係員がこっちへ、と誘導します。なんと、最前列の芝生席でした。ここに掲載した写真はいずれも座ったまま撮ったものばかりで、フォトアングルとしてはベストに近い、ラッキーな場所でした。
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やがて定刻となり、ほら貝の音が鳴り響きます。チャント(祝詞)が聞こえ、王様が現れ何か呪文のように聞こえるせりふで、私たちを古代ハワイの世界に引き込みます。バンドはお見事に太ったオバチャン4人組で、ウクレレやギター、ベースで演奏し、実にみごとなハーモニーを聞かせてくれます。やがてダンサーが大勢出てきて、ハワイアン、タヒチアン、カヒコを主体にいろいろな踊りを見せてくれます。
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中盤に白人のホストによるトークとゲスト参加の臨時フラ教室が行われ、場内を盛り上げます。私は参加しませんでしたが、フラって見た目ほど簡単でないですよね。ステップと腰の動きの基本ができていないと、上半身下半身がてんでバラバラになりやすいです。でもみんな楽しそうにレッスンしていました。
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ショーは意外に長く、1時間半くらいありました。無料だから30分くらいかなと思っていたので意外でした。しかも屋根もないスタンドですからカンカン照りだと頭のてっぺんが焼けそうです。でも風が気持ちいいです。屋外はこれがなんとも言えません。やがてエンディングが近づき、さっきまで演奏していた太っちょのオバチャン4人が観客のほうに四方それぞれに散らばって見事な(?)腰さばきの豪快なフラを披露します。私は最前列でしたから吹き飛ばされそうになりました(^o^)/
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そして演奏が終わりオバチャンたちは自分の掛けていたレイを観客にプレゼントします。拍手しながら横を向いて向こうの光景を見ていた私が影を感じて正面に振り向いたとき・・・目の前には大きなおなかが存在していました!
アロ〜ハ!
小錦みたいな巨大なオバチャンは私に向かって声をかけるとレイを首にかけてくれ、おまけに分厚い唇で私のほっぺにキスをしてくれたのです・・・周りの白人たちが羨ましそうな目つきでこちらを見る中、私は固まってしまい、時折手先をぴくぴくさせていたかもしれません。このときもらった素敵なジンジャーのレイは東京に帰るまで大事に持っていました。とてもいい香りだったことをよく覚えています。

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数年後、このコダック・フラ・ショーは運営難で一時休止され、その後別のスポンサーにより再開され・・と不安定に続き、結局いまは開催されていないようです。残念ですね。昨年のポリネシア文化センターとこの日のコダック・フラ・ショーのおかげで、元々好きだったハワイアン・カルチャーと音楽にますます興味が募り、いまや私たち夫婦の大きなライフスタイル・バックボーンのひとつです。


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ホノルル3日間をたった70ドルでどう過ごすか?

1980年3月26日

27日間のフリー旅期間を終えて、ロサンゼルス・ダウンタウンのフィゲロア・ホテルに集合しました。ここで2泊した後、ツアー全員で最後の目的地ハワイに向かいます。

この2日間はまったく写真らしい写真を撮っていませんでした。いまでも思い出せないくらい不思議な話なのですが、フリーの旅が終わった瞬間、気が抜けて何も考える気が起こらなかったのかもしれません。緊張感がなくなると、こうも変わるものなんですね。

自分でバスや飛行機の時間をチェックしたり、チケットを買ったり、荷物が消えないように見張ったり、できるだけ安い食事を求めていろいろメニューを見比べたり、ガイドブックにあったスポットが見つからなくて地元の人に拙い英語で尋ねたり・・とささいなことでも自分たちでなんとかしなきゃ、という緊張感が旅の思い出につながるのかもしれません。その結果得た、さまざまな感動と印象がこうして20年以上経った今も色あせずに残るのでしょうね。

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ロサンゼルス空港(LAX)から、ノースウエスト航空国内線でハワイのホノルルに向かいました。ハワイは前年(1979年)の3月JTBのツアーで行ったのが初めてで、今度が2回目でした。同じ3月だったのですが、どうもこの時期は雨が多いようです。で、やっぱりハワイだから暑い!テンガロンハットもかぶっていられません。

ワイキキビーチ

ツアーバスで1年ぶりのワイキキです。前回はアラモアナ・ホテルだったのですが、今回は反対側、ダイヤモンドヘッド側のカピオラニパークに近い、ナプアラニホテルでした。このホテルは当時まだ新しかったのですが、今は違う名前になっているようです。

雨上がりのダイヤモンドヘッド

部屋を割り当てられ、荷物をおろし、Tシャツ短パンに着替えて楽になり、さてどうしようかと考えながら財布を見ると・・・・現金はたった70ドル!! これで3日間過ごすのか?クレジットカードは一応持っていましたが、元々決めていた予算を使いきっていたので、これ以上使いたくありませんでした。

そもそもハワイには何も計画をしていなかったのです。アメリカ大陸横断がメインの目的でしたから、ハワイは「おまけ」というか「ごほうび」みたいな位置づけでした。前年に家族と来たときは、4泊だったけどゴルフにディナークルーズにポリネシア文化センターなどに行きましたから、一人最低でも3〜500ドルくらいは使いますよね。それなのに今度は2泊3日で70ドル。さてどうするか・・・

実はこの後私は、結婚式&ハネムーンも含めてハワイに15回訪れているんです。つまりハワイは一番好きな旅先なのです。そのきっかけは1979年の初ハワイかもしれませんが、とことんハワイ好きになった直接のきっかけはこのときの「おまけハワイ」だったかな、と今は思うのです。

世界に名だたる観光地ハワイと言えど、1980年当時はまだまだドルも高く(1ドル=210円くらい)、ジャルパックやルックツアーなどの大手旅行社のチョイ高いパックツアーがほとんどでした。私から見れば、アメリカ大陸横断旅の「おまけハワイ」は”格安で遊ぶハワイ”の初めての良い経験になったわけです。地元のフリーペーパーやクーポンブックなどをつぶさにチェックして、できるだけ安上がりに遊び、食べることを決めました。
そしておおまかに予算を組みました。

朝食 ファーストフード店で 1食2ドル×2回=4ドル
昼食 屋台かファーストフード店で 1食4ドル×2回=8ドル
夕食 安いレストランで 1食チップ込み7ドル×2回=14ドル   
 食費合計 26ドル
 その他ドリンク、スナック類  10ドルまで
レジャーは  
 海で泳ぐ&日光浴  無料
 フラ・ショー    無料
 サンセット&夜景見物  無料
 ディスコ        3ドル
買い物は  
 Tシャツ2〜3枚 10ドル
 マカチョコ他菓子 10ドル
移動は バスで 5ドル タクシーはNG
チップ 5ドルまで     合計 69ドル
アメリカでの旅の予算組みで意外に馬鹿にならないのがチップだな、という実感を持ちました。特にタクシーとレストランですね。もっともラスヴェガスのホテルのショーでは3ドルでえらいリッチな体験をしてしまいましたが、これは例外でしょう。ともかく何とかなる、最悪の場合は友人に借りる(!?)ということにして、格安ハワイ滞在を楽しむことにしました。
ワイキキビーチでのサンセット


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2006年06月18日

愛と平和に満ちたスポーツ天国、ベニスビーチ

1980年3月24日

この旅も残り1週間を切りました。念願の大陸横断を果たし、各地で映画や音楽にまつわる色々なエピソードを残し、特に病気やけがや事故もなく来れました。友人たちを始め、旅先で出会った同好の日本人旅行者、現地のアメリカ人、泊めてくれたニューヨークのニュージーランド人たちなど、出会ったすべての人みんなに感謝の気持ちでいっぱいでした

サンタモニカビーチ

カリフォルニア州LAサンタモニカトラヴェロッジでまたも快晴で気持ちのいい朝を迎え、この日は一日海沿いで過ごしました。朝はサンタモニカビーチで軽くジョギング、昼は隣のベニスビーチとの間をローラースケートで往復、夕方はゴルフのショートコース、とスポーツ三昧でした。夏であれば海で泳いだり、ヨットでクルーズしたりと、もっといろいろに楽しめます。

サンタモニカビーチで日光浴

ここサンタモニカにいると、同じLAでもダウンタウンなんかとまるっきり違って健康的なスポーティな気分を感じてしまいます。大都会なんだけどリゾート感覚があるのは、当時の大半の日本人にとってかなり驚きだったと思います。これが隣のベニスビーチになるともっと素晴らしい雰囲気です。街全体がイベント会場みたいに楽しくて、ノー天気であっけらかんとしていました(^^)

テニスやスカッシュに興ずるヤングカップル、バスケにはしゃぐ少年たち、ダンベルやベンチプレスで汗を流してモリモリの筋肉を誇示するボディビルダー、一輪車やサイクリングに勤しむ少女・・・などありとあらゆるスポーツの見本市みたいな光景でした。週末だったせいか、朝からたくさん来ています。おなかがすいたら、ホットドッグも中華プレートランチも、ちゃんとしたフルコースのランチも何でもあります。

そしてこの頃に大ブレークしていたのがローラースケートです。サンタモニカとベニスビーチの間には砂浜沿いにコンクリートのサイクリングロードがあり、これが恰好のスケートレーンになっています。まだウォークマンが出回っていなかった頃ですから、ラジカセを肩に乗せて滑る人もいました(^^)3月なのにタンクトップとショートパンツ、あるいはレオタード姿の女性スケーターもいて、目の保養もしました・・?

ベニスビーチのスケーターたち

私は小学校の1年生頃によくローラースケートで遊んでいたので、レンタルスケートを履いて5分くらいでカンを取り戻しましたが、友人たちはほとんど初めてだったようで、よたよた四苦八苦していました。ベニスビーチの広場ではスケーターのグループがテレビ番組の「ソウルトレイン」みたいに2列に並んで、間に並べた空き缶をコーナーフラッグ(スキーの回転競技みたく!)に見立てて一人ひとりが絶妙なすべり技を見せていました。

ローラースケート
ローラースケートローラースケート

ベニスビーチには芸術家の卵のような若者も大勢います。画家やミュージシャン、演劇などのパフォーマーたちが、さながらニューヨークのグリニッジ・ビレッジやソーホーみたいな感じでコミュニティを作ってい驍謔、です。みんな平和的で、ぎすぎすしたところがなく、目が合えばにっこりスマイルです。東洋人を怪訝そうな目で見る者もいません。
ベニスビーチのパフォーマー

子連れのママさんもローラースケートでベビーカーをぶ〜ん!さすがですね。
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もうバスでの移動もないので、夜ものんびりです。少し余力があったので、地元のフリーペーパーに載っていた、サンタモニカのカントリーバーに行ってきました。
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バンジョーカフェ」はそれほど大きい店ではありませんが、とても雰囲気のいい店でした。あまりうまくはない(^^;)ブルーグラス系カントリーのバンドの生演奏を聞かせるところでほとんど満員でしたが、とても品の良いオトナばかりで、私はビール片手にくつろぎました。向かいの席に同じような独り者で、ケニー・ロジャースみたいにひげをはやした男が話しかけてきます。私は東京から来たこと、アメリカを一周してきたこと、そしてナッシュヴィルで本物のrル・モンローに会ったことを話しました。

カントリーのライブハウスに来るくらいだからビル・モンローくらい知っているかと思ったら、知らないらしく、おまけにカントリーも普段はほとんど聞かないそうです。ただお酒が飲みたかったんでしょうね。それでもビル・モンローのサインを見せると、「それはスゴイ!!」と言って私の手帳を手に取り「僕もサインしてあげる」と言ってくれました・・・それはいいけど、あんた誰?という感じで笑えました。
パトリックのサイン

こうしてサンタモニカ&ベニスビーチの最後の1日は平和に過ぎていきました。明日はダウンタウンにツアーに集合です・・・

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2006年06月17日

映画は人生の宝。永遠なれハリウッド

1980年3月23日

映画の魅力って何でしょう?答えはたくさんあると思いますが、私は「映画=人生」だからだと思っております。着想を得、企画をし、シナリオを書き、役者やスタッフを集めて撮影し、編集し、音楽を付け、配給し、チケットを売り、観客の人生の何時間かを拘束(?)し、感動を与える・・・その感動を基に新たな人生を構築し、やがて自らのアイデアでまた映画を作り、また新たな観客に感動を・・・というのが映画の歴史です。

古代の歴史から宇宙の彼方の未来まで、およそ人間の想像力の及ぶすべての範囲に映画は作られています。海、山、林、森、砂漠、川、コンクリートの建物、道路、動物、花、そしてコンピュータと人間と才能・・・それらの多くが手の届く範囲に揃っている世界最高の場所・・・それがハリウッドだと私は信じて疑いません。

1970年代、高校受験を終えて最初に見た映画が当時リバイバル上映されていたチャーリー・チャップリンの「ライムライト」で、めちゃくちゃに感動した私は映画にどっぷりはまり、高校時代(1970年代)だけで(ビデオやDVDがない頃に)500本近くロードショー、試写会、名画座、テレビで見まくりました。文芸もの、アクション、西部劇、メロドラマ、ミュージカル・・とできるだけ質の高いものを選ぶようにして見てきました。


やがて将来の職業として、タイトルデザインを志望するようになったのです。でもどうやればなれるのかわからず、とりあえずデザインの勉強だけはしておこうと、独学で始めていた頃に今度の旅をしました。そして、ニューヨーク、ニューオーリンズやラスヴェガス、ロサンゼルスなどの各地で大いなる刺激を受け、帰国後の翌月に夜間ですがデザイン学校に入学し、その年の秋にはテレビ朝日でのタイトルデザイン関係でアルバイトに入っていました。

当時動き始めたばかりのコンピュータ・グラフィックスに本格的にかかわることはすぐにはかないませんでしたが、テレビやビデオ、そしてデジタル時代になって、CD−ROMやWEBサイトの仕事にいくつか携わる事ができました。それもこれもみな、学生時代の映画の体験、映画への傾倒から企画したこのアメリカ横断旅の経験が基盤になっています。まさに私にとって「映画=人生」なのです。こんな人生を送れていることに心から感謝あるのみです。

確かにこの頃(1970〜80年代)のハリウッド映画は不振を極めていたと思います。純粋に現実離れしたフィクションに夢を託せる平和な時代でなく、多くの悩み苦しみを抱えたアメリカ人の精神がよくわかる雰囲気でした。でも私は過去の栄光だけにとらわれない、新しい才能とアイデアがまたハリウッドに栄光をもたらすと信じていました。

その後1998年、2002年、2004年にハリウッドを再び訪れましたが、そのたびにぐんぐんと活気を増し、すばらしく楽しい街に変化して行ったのが嬉しいです。(そのときの模様は近々このブログでレポートします!)

ハリウッドの楽しみ方はいっぱいあります。20年代、30年代からのビッグスターの手形やサイン、写真、ろう人形などのビジュアルを見る、映画やショーを見る、Tシャツやポスターやオスカー像(ベストハズバンド賞とかベストペット賞とかのパロディが笑えます)などのグッズを買う、ユニヴァーサルスタジオで大掛かりなセットや仕掛け、スタントショーを見る、仮装用の服を買ってなりきりを楽しむ(ドラキュラとかスパイダーマンとか(^^;))・・・などなどいろいろあります。今ならおしゃれなレストランやデューティフリーショップなど楽しいスポットもたくさんありますし、ブランドショップもできましたね。とても1日では足りないくらいです。

ユニヴァーサルスタジオは広大なので、トラムに乗って各セットを回るようになっています。この頃の目玉は「ジョーズ」でしたね。懐かしいですね。
西部劇スタントショーpgバイオニックジェミーの仕掛けを説明
崩れる橋のセットニューヨークのセット
ジョーズの鮫西部劇のセット
私たちはユニヴァーサルスタジオで半日遊んだのと、ハリウッドで店をぶらぶらしながらショッピングをしました。なかでも私がはまったのは、昔の映画のポスターやプログラム、スチール写真などのいわゆるプリントグッズを販売する店で2時間近く粘って、友人たちにあきれられました。

店の雰囲気は東京・神田の神保町あたりの古書店に近い感じでした。ポスターはさすがに値段が高くて手が出ませんでしたが、「リオ・ブラボー」の初公開時のポスターを見つけたときは手が震えました!店の片隅に大きな段ボール箱に映画館の受付から引き剥がしたままのスチール写真(大半がキャビネサイズ)が山のようにあり、私は顔をつっこまんばかりにして漁っていました!すると、出るわ出るわ・・・珍しい貴重な写真が1枚10セントから1ドルくらいで売っていました。

これらの写真は昔の映画館によく入り口の横にガラスのショーケースの中に貼られていて、ひとりでも多くの客が入るようにレイアウトしていたのです。アメリカの映画館は日本みたいに看板に絵がありませんで文字だけですから、これが入館前の貴重な情報源だったんですね。

私はざっと20枚くらい買ったのですが、ジョン・ウエインやクリント・イーストウッド、ベン・ハーや2001年宇宙の旅などいろいろですが、見つけて思わずニヤッとしたのが、ジョアナ・シムカスのスナップぽいポートレートとテレビドラマ「ペイトンプレイス物語」の2枚でした。ジョアナ・シムカスはフランス映画「冒険者たち」の女優で他にはあまり出演せず、黒人オスカー俳優のシドニー・ポワチエと結婚して引退してしまいました。私にとっては「ドクトル・ジバゴ」のジュリー・クリスティと並ぶ「スクリーンの中のアイドル」でした。
ジョアナ・シムカス

一方の「ペイトンプレイス物語」はちょうど高校時代にTBSで月〜金曜の夜11時半から30分のアメリカ製連ドラで、なんと514回という超ロングもので、約2年以上続いていたと思います。ビデオデッキもHDレコーダーもなかった時期に私はほぼ95%500回はカバーして見ました。見られなかったのは修学旅行のときくらいで平日は夜遊びしていなかった・・?(ホントかな)このドラマはボストンの北の田舎町を舞台にした群像ドラマで、今の一部の韓国ドラマを思わせるようなスキャンダラスなストーリーが人気でした。主演がライアン・オニール(写真左)、ミア・ファロー、バーバラ・パーキンス(写真右)で、脇役にドロシー・マローン、エド・ネルソンらが出ていました。
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まるでオタクみたいなはまり方ですが、ハリウッドは訪れる人それぞれにいろいろな楽しみ方があります。今度はぜひアカデミー賞授賞式の日に行ってみたいです。また、時間を作って、パラマウント映画の撮影所とか公開されているスタジオを見学してみたいですね。

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2006年06月16日

映画界が寂しい時代だったハリウッド

1980年3月22日

関東平野並みに広いロサンゼルスは主に、ハリウッド、ビバリーヒルズ、サンタモニカ、ダウンタウン、ヴェニスビーチ、ロングビーチ、マリナデルレイ、パサデナ、ダウンタウン、アナハイムといったエリアが有名で他のラデラ、サウスセントラル、カルバーシティ、トーランスなどはほとんど地元住民のエリアになります。

初めてのロサンゼルスで初めてのレンタカーを走らせるにはハイウエイやフリーウエイで大きく移動し、サンセット・ブールバードやラブレア・アヴェニューといった大通りをよくチェックして行く必要があります。とりあえずサンタモニカのモーテルから出発してサンタモニカ・ブールバードやウィルシャー・ブールバード経由でビバリーヒルズへ行き、その後さらに北東へ向かい、ハリウッドに行きました。

LAと言えばハリウッド!! 映画が好きで、それもアメリカものハリウッド製の映画が好きで見まくっていた高校、大学時代の自分にとってハリウッドは何が何でも訪れなければならない最重要ポイントのひとつでした。わくわく胸躍る気持ちを抑えながら、ハリウッドのランドマークともいえる「マンズ・チャイニーズ・シアター」の前に到着します。やってきました映画の聖地、聖林(Hollywood)へ!!

マンズ・チャイニーズ・シアター

しかし、しかし・・・1980年のハリウッドに華やかな雰囲気はまったくありませんでした・・・がくぜんとするほどに、うら寂しい街でした。ウソだろーこれがハリウッド?華麗なスターたちの面影はどこにあるの?・・・ほんの少しの団体観光客と不機嫌そうな地元住民、そして浮浪者の姿。ごみが風に舞い、たばこの吸殻が散乱し、清潔感などない場末みたいな雰囲気でした。いつも大作映画が上映されていたシネラマドームも閉館しているみたいにガラガラでした。
シネラマドーム

悲しくて涙が出そうになるのをこらえて、なんとか好きな映画の思い出を拾い集めようとしました。チャイニーズ・シアターはオリエンタルなデザインの建物で、有名スターたちの手形とサインがあることで知られています。ジョン・ウエイン、クラーク・ゲーブル、マリリン・モンロー、スティーブ・マックィーンといった錚々たる名前が並びますが、みな天国に行ってしまったんですよね。
クラーク・ゲーブルの手形 ジョン・ウエインの手形

ハリウッドが本当に華やかだったのは1930年代から50年代でしょう。まだテレビが大衆の人気メディアになるまでの、それほど長い期間ではなかったと思います。60年代にも数々の大作映画ヒット映画が作られてはきましたが、ベトナム戦争や反戦運動の高まり、娯楽至上主義からリアリズム志向への心理的変化などの影響で、誰もがお金を払って見る様なわかりやすいヒット作が激減し、MGMやパラマウント、ワーナー、20世紀フォックス、ユナイト、コロンビアなどの各製作会社は収益を上げるのに苦心する時期に入っていました。

チャイニーズシアター前のスターの手形の中にはクリント・イーストウッド、ジャック・ニコルソンやスターウォーズの主役たちなど現代のヒーローたちもありましたが、いわゆる「銀幕のスタア」といったきらめきを感じさせる存在でなく、私たちと等身大のスターです。このほかショップなどで目立ったのはジェームズ・ディーン、チャーリー・チャップリン、ブルース・リー、ジェーン・フォンダあたりでしょうか。半月前にニューヨークでにぎやかな映画・ミュージカル劇場街に立っていたのが嘘のようです。

ウッディ・アレンやボブ・フォッシー、マーティン・スコセッシ監督、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロなどはみなニューヨーク派ですものね。当時は完全にニューヨークが映画界をリードしていたと思います。1ヵ月後に迫っていたはずのアカデミー賞授賞式も今のようにハリウッドハイランドのコダックシアターでなく、ダウンタウン寄りのパンテージ劇場とかシュラインオーディトリアムで開催されていたから、本当に悲しいくらいハリウッドは寂しかったです。

スターの手形や歩道にあるスター達の名前入り星型プレート「ウォーク・オブ・フェイム」を見た後、友人たちに特にお願いして時間をもらい、映画を1本観てきました。
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ここチャイニーズ・シアターで上映中だったのは、シシー・スペイセクがカントリー歌手のロレッタ・リンを演じてアカデミー主演女優賞を獲得した「Coalminor's Daughter 歌え!ロレッタ愛のために」でした。ニューヨークでの「オールザット・ジャズ」と同様、音楽ものならば、せりふが多少わからずとも楽しめるだろうと思ったし、なにより大好きなカントリーミュージックがたくさん聞けると楽しみにしてチケットを買いました。

観光客がセメントの手形の周りでわいわい騒いでいるのを尻目に入口に向かうと、蝶ネクタイをつけたハンサムなドアボーイが恭しく迎えてくれます。中は華麗な赤じゅうたんでびっくりです。売店でプログラムとコーラとバケツみたいな大きなポップコーンを買って席に着きます。ざっと1500人くらいは入りそうな大きな見事な劇場でしたが、来場客はわずか100人ほど・・・ほとんど空気というくらい空いていました。これがハリウッドの看板劇場なの?・・とわびしくなりました。
歌え!ロレッタ愛のために

でも映画はすごく良かったです。ロレッタ・リンはケンタッキーだかどこかのド田舎の炭鉱夫(Coalminor)の娘として生まれ、後にカントリー歌手として大成功する、というアメリカ人好みのサクセスストーリーです。シシー・スペイセクは顔はそんなに似ていないけど自前で歌っていたそうで、うまいのにびっくりしました。夫の役を若き日のトミー・リー・ジョーンズが演じていました。また父親役がザ・バンドのレヴォン・ヘルムでした。ロレッタの良き歌手仲間で50年代の大スター、パッツィ・クラインをミュージカル映画「ヘアー」のベバリー・ダンジェロが演じていたのも驚きでした。

最近この手のヒット映画がありましたね。そう、「ウォーク・ザ・ライン」です。こちらはやはりカントリーミュージックのビッグスター、ジョニー・キャッシュとジューン・カーター夫婦のドラマでいい歌がたっぷりです。ホアキン・フェニックスのジョニーは歌もうまかったし、ジューン役のリーズ・ウィザースプーンは今年のアカデミー賞で主演女優賞を獲得しましたね。この2作はいろいろと共通点が多くて興味が尽きません。


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2006年06月15日

ビバリー・ヒルズはセレブの街、そしてホテル・カリフォルニア

1980年3月22日

昨日までの厳しいバス旅から解放されて、ゆっくり眠り、朝のサンタモニカビーチを軽くジョギングと散歩。なんとも言えないくらいイイ気分でした。穏やかな海、豊かな陽光、スタイリッシュなパームツリー、道行く住民たちも他のエリアとは一味違った、リッチでスマートな雰囲気です。サンタモニカはロサンゼルスの中では「高級」というより「リゾート的な洗練」の町と言えるでしょう。

サンタモニカのオーシャンブルバード

朝食の後、レンタカーのファイヤーバードでまずはビバリーヒルズに向かいます。ロサンゼルスは私のような映画&音楽好きには撮影所のセットみたいなところで、至る所に思い入れのある光景が存在します。映画や音楽の新作を宣伝する巨大な広告看板(ビルボード)だけでもいくつあるか・・・下の写真はドナ・サマーの「オンザレイディオ」のビルボードです。

ドナ・サマーのビルボード

ビバリードライブを東に走ること約30分、左手に緑の多いエリアが見えてきます。ロデオドライブなどを通り過ぎてビバリーヒルズのいわゆる「ハリウッドスター豪邸エリア」に入ると、見事なパームツリーの並木です。そして豪奢な邸の数々。は〜とため息の出るような広い綺麗な庭と寝室だけで10は下らないような大きな建物ばかりです。

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この頃、J.D.サウザーの「ユア・オンリーロンリー」がヒットしていたのですが、テレビのMTVみたいな番組で、このビバリーヒルズの風景をバックにこの曲を聴いたのがすごく印象に残っていて、ぜひ見たかった景色のひとつでした。
J.D.サウザー
地元の案内誌によれば、クラーク・ゲーブルやルシル・ボールなどの30年代,40年代のスターからシルヴェスター・スタローンなどの現代のスターまで目移りするほど建ち並び、これらを眺めるためのツアーもあるくらいです。ほとんど人も歩いておらず、お店もないエリアですから、近所に出かけるのも車なんでしょうね。庭仕事をしているのがほとんど東洋人だったのは少し複雑な気分でしたね。

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少し移動すると、突然見慣れたホテルが出現しました。ビバリーヒルズ・ホテル・・・そう、イーグルスの傑作「ホテル・カリフォルニア」のジャケットのあのホテルです!ああ、ホテル・カリフォルニアはピンクの壁だったんだ〜。私は運転しながら、まるでおもちゃ箱をひっくり返した子供のように街のあちこちの景色を見てはしゃいでおりました。

ビバリーヒルズ・ホテル.jpg
ホテル・カリフォルニア

ビバリーヒルズの北側の上り坂を進んでいくと、結構標高の高いところに出て、ビバリーヒルズの全体が見渡せるところもありました。あのたくさんの家屋敷に映画やテレビで見たスター俳優やミュージシャンが住んでいるんですね・・・どこまでも底抜けに明るくまぶしい陽光と、夜だけでなく昼も輝くスターの光がいっぱいで、サングラスなしでは歩けません!

丘の上からのビバリーヒルズの眺め

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2006年06月14日

ファイヤーバードでサンタモニカへ。ついに大陸横断達成!!

1980年3月21日

カリフォルニア州LAアナハイムナッツヴェリーファームからバスでダウンタウンに戻り、レンタカー会社のハーツに向かいます。日本で予約して行ったので、バウチャー(予約確認書)とパスポート、国際免許証、クレジットカードをカウンターに出します。一応コンパクトカーで希望していたのですが、できたらフォード・マスタングのようなアメリカをひそかに期待していました。

ところが黒人女性スタッフの応答は「日本のトヨタならすぐ出せる」というものでした。私は、ま、それでもいいやという気分でしたが、友人が頑なに「NO TOYOTA!! NO TOYOTA!! アメリカに来てまで日本車に乗れるか」と抵抗したのです。予想外の反応にちょっと驚きましたが相手もしょうがないわね、という顔をしながら「大きいサイズだけど同じ料金でいいわ」と出してくれたのが・・・・ポンティアック・ファイヤーバード!! 通称「トランザム Trans Am」でした。

ファイヤーバード
私たちは唖然として立ち尽くしました。
初めてのアメリカで初めて運転するアメリカ車がこれ?
私が友人に「おまえがあんなこと言うからエライのが来たじゃないか。おまえ運転しろよ」と言ったのですが、当の友人は真っ青な顔して首を横に振るばかり・・・結局、私がハンドルを握りました。

ファイヤーバードの車体は大きいのですが車高が低いので3人分のバックパックを積むとほとんどいっぱいです。免許を取得して2年足らずで初めての左ハンドル経験です。情けないことにサイドブレーキがペダルであることも知らなかったので、「あれ、クラッチが付いているのか?」と大ボケこいて、いきなりガックン!です。次にパーキングから車道に出る際に右折のランプを付けたつもりがワイパーが・・・先が思いやられるスターティングでした。

慎重にソロソロと出て、ダウンタウンからサンタモニカに向かいます。このときすでに時計は2時半でした。実はサンタモニカのトラヴェロッジには日本から予約を入れていたのですが、夕方4時までにチェックインしないと自動的にキャンセルになってしまうのです。友人に地図を見てもらいながらナビゲーションを頼みますが、とにかくフリーウエイに乗って、西のほう、海に向かって行けばいいんだ、とお互いに言い聞かせて急ぎました。

LAのフリーウエイ サンタモニカ・フリーウエイ
フリーウエイは片側だけで4〜6車線あり、どの車も速いですが、慣れると意外に楽です。こちらのドライバー達の運転マナーの良さが意外でした。30分位してようやく気持ちが落ち着いて周囲のLAらしいパームツリーの風景を楽しむ余裕がでてきました。しかしもう3時だ!急がないと!太陽が落ちる西に向かってサンタモニカ・フリーウエイを飛ばして、海の手前の出口で降りてオーシャン・ブルバードに出て、トラヴェロッジを探します。サンタモニカ独特の美しいパームツリーの並木の向かいに看板を見つけたときは思わず万歳しそうでした。着いたときの時刻は3時半でした。

サンタモニカ・トラヴェロッジ
やれやれと思ったのもつかの間、まだ難関がありました。受付がすんなり通らないのです。日本の代理店で予約した3泊分のバウチャーを出したのにフロントの白人の初老の男性は、そんなの知らん、と横柄なそっけない応対です。慣れない左ハンドルアメリカ車の運転で疲れていた私は珍しく(?)キレました。「I reserved at Tokyo office, last month!! (先月、東京支社で予約したんだぞ!!)」と思い切り怒鳴ってしまいました。私の形相にびっくりした彼は、両手を前に「OK, OK, just a moment, please.」とおとなしくなり本部の予約センターに電話しました。

待つこと5分、ようやく鍵を渡してくれました。部屋に入っていきなりベッドに横たわってしまいました。ともかくサンタモニカに来た!荷物をほどいてシャワーを浴び、スエットと短パンという楽な格好に着替えて、サンタモニカの散歩に出ます。

トラヴェロッジの前の通りを渡って海側に行くと思っていたより広いビーチが広がり、有名なサンタモニカ・ピア(桟橋)が見えてきます。ちょうど夕陽が落ちる時間帯で、海の輝きがなんともロマンチックです。この海はもちろん太平洋です!

サンタモニカ桟橋で サンタモニカ桟橋で

ついにアメリカ大陸を横断した!!この海の向こうは日本だ!

ニューヨーク、ナッシュヴィル、ニューオーリンズ、サンアントニオ、エルパソ、ツーソン、グランドキャニオン、ラスヴェガス、そしてロサンゼルス・・・半月がかりの大陸横断の終点としてここサンタモニカの海辺で私は雄たけびをあげ(?)、かもめのように飛び跳ねました(??)
自分なりの達成感を十分にかみしめていたのです。

サンタモニカ桟橋で
usa_routemap.swf ルートマップです。

サンタモニカののんびりした空気がたまらなくいいです。桟橋の上にあるのはスタイルの遊園地です。ポップコーンやソフトクリームを手に素朴なゲームやゴーカートに興じ、これまでの疲れを癒します。そしてラジオからは大好きなイーグルスのヒット曲「言い出せなくて I can't tell you why」が聞こえたりして、これぞウエストコースト!!という感じでした。

サンタモニカ・サンセット

イーグルス

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